灸まん美術館は、平成3年(1991)4月13日、芸術家・和田邦坊の業績を顕彰する文化施設として誕生しました。琴平町出身の邦坊は、新聞漫画家・小説家として一世風靡した人物で、戦後は当時の県知事や文化人との交流を深め、民芸やデザイン、絵画などの分野で香川の文化・芸術に広く影響を与えました。コレクションは、邦坊の生前から譲渡・購入した絵画だけでなく遺族からの寄贈を受けた作品・資料・愛蔵品を収蔵しており「和田邦坊画業館」にて公開しています。また、初代館長・位野木峯夫の遺志を継承して邦坊の作品・資料を収集・保管・展示し、関連する調査研究及び事業を行っています。そして、高瀬町出身の陶芸家・大森照成の作品、中国伝来の仏像も展示し、地元作家の活動拠点となる「灸まん美術館ギャラリー」を運営しています。館内には、美術鑑賞のひと時を喫茶で過ごせる「カフェコンピーラ」を併設しており、ふるさとの文化・芸術を楽しめる施設として多彩な空間を提供しています。
昭和23年(1948) に創業した「灸まん本舗石段や」は、⾦金刀比羅宮の参道に本店があり、お灸の形をした饅頭「灸まん」が看板商品です。名前の由来は、旅籠に泊まる旅人に据えていたお灸がモチーフになっており、琴平名物として親しまれています。
「灸まん本舗石段や」は、琴平町出⾝の画家・和田邦坊がプロデュースして誕生しました。創業時は「こんぴら堂」という屋号で飴や煎餅の製造・卸をしていましたが、新しい事業を成功させたいと考え、地元に住んでいた邦坊に協力の依頼をしました。当初、邦坊はあまり事業に関心を寄せず、峯夫からの依頼を何度も断り続けていました。しかし「本物の琴平の土産物を作りたい! 」という真摯な思いを受けて、新商品の開発からプロデュースすることになりました。邦坊は、新しい屋号や店の名前、商品開発だけでなく、パッケージ、内装など様々な商業デザインを手掛け、琴平を代表する銘菓「灸まん」を作り上げました。峯夫はそんな邦坊を人生の師と仰ぎ、晩年まで様々な活動を支えてきました。
手前どもは昔 代々 麻田屋久八という旅宿でございました。その頃のこんぴら(琴平)の宿屋は石段上の並びにあったもので、他人さまには麻田屋ですが、私どもは石段屋のおじいさんとこと斯様に申し慣れていたのでございます。天領地のこんぴらには他国から学者、画家、やくざとそれは、それは、いろいろな人種が出入りしたものでございます。天保何年のことでしたか、江戸から小金井小次郎という親分が、私どもへ泊りまして、これが、また苦味走った鄙には稀れな好い男ッ振りでございまして、
『おい、女中さんよ。ここには、こんぴら灸てえのがあるそうぢゃねえか。』あ、申し遅れましたが旅の疲れを癒す脚灸で、私ども婆ァがお客さまへのサービスで一点灸をすえて差上げていたのが、ひどく、よく効くので、方々評判になっていたのでござります。何しろ、相手がいい男なもので、女中共が奪い合いで果ては、ぢゃんけんで決めたということでございますから、男前には生まれたいものでござります。女中が特別柔いのをすえたのでしょうか、
『こいつは甘めえお灸だわぁー。』
と親分が申したそうで、小金井小次郎が甘いお灸だといったのが始まりで、よく効く甘いお灸の麻田屋の金比羅灸というので名物になり、家運益々繁盛致したということでございます。
私で丁度七代目、時勢でございますな。もうお灸ではあるまいと、折角祖先の創めた甘い灸というのをとりまして、『灸まん』。これで旅の疲れを癒して貰おうと存じ創めたのが、石段屋の灸まん、卵解きの饅頭でござります。どうぞ、よろしゅうお引立てのほど御願いいたします。
建設地 | 善通寺市⼤⿇町338 |
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建築主 | 株式会社こんぴら堂 |
設計 | 有限会社磯野建築事務所 |
施工 | 富士建設株式会社 |
敷地面積 | 1075.29m2 |
建築面積 | 517.91m2 |
延床面積 | 575.48m2 和田邦坊画業館169.00m2 収蔵庫42m2 大森照成陶芸館24m2 ロビー96.9m2 灸まん美術館ギャラリー55.25m2 中庭130m2 |
規模 | 地上2 階 |
高さ | 軒高8.0m 最高高さ:9.2m |
構造 | 鉄筋コンクリート造 |