拝啓、和田邦坊さん!没後29年目です
| 学芸室より
和田邦坊は、明治32年に生まれ平成4年に他界。明治、大正、昭和、平成の4つの時代を生きた人物です。平成を生きたといっても晩年の8年間は、闘病生活でほとんど意識がなかったといいます。そのため現役活動は昭和59年(年末)までとなります。
邦坊は、若い頃から蓄膿症や不安症で悩み、健康に対して人一倍気にかけていた人でした。大のお酒好きではありましたが、健康オタクの一面もあったようで雑誌もよく読んでいたようです(健康メモがたくさん残されていました)。
香川県での様々な活躍を鑑みると盛大な葬儀が行われたと思いきや、家族葬で静かにお見送りしたといいます。ご遺族の意向も大きかったようですが「葬式不要、弔問無用」の遺言もあり93歳でこの世を去りました。
灸まん美術館は、平成4年に開館していますが、実は闘病中の邦坊は意識がなかったといい美術館の存在も知らないまま他界しています。もし邦坊が美術館のプロデュースをしていたら・・・と思うと、今の外観や内装も大きく変わっていたことでしょう。ただ、生前に美術館設立の提案をしたときは「そんなもんは要らん!」と一蹴したといいます。
邦坊の人生観を表す良寛和尚の言葉があります。
生涯慵立身 騰騰任天真
嚢中三升米 炉辺一束薪
誰問迷悟跡 何知名利塵
夜雨草庵裡 双脚等閑伸
「誰問迷悟跡 何知名利塵(だれか問わん迷悟の跡、なんぞ知らん名利の塵)」は、悟りだの迷いだの、そんなことは興味がない。名声だの利益だの、そんなものは塵芥(ごみ)のようなものだ 私には必要ない、という意味になります。健康を代償に得た東京での成功は、邦坊を無欲の人にしながらも、故郷の風土に癒されることで第2、第3のステージを謳歌していくという人生でした。