2020年8月15日終戦記念日
| 学芸室より
和田邦坊は、これまで「厭戦のひと」と言われてきました。確かに東京を離れたことで、時事漫画家としてプロパガンダに巻き込まれることはありませんでしたが、まったく戦争とかかわりのない生活をしていたわけではありません。まだまだ研究の余地を残す時代ですが、今回は戦時中の古い写真を紹介します。今日のこの日を振り返る資料としてどうぞご覧ください。
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(1)パイロット姿の邦坊
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(2)後列2列目、左から4番目が邦坊
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(3)前列・左から2番目が邦坊
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(4)前二列目・左から5番目が邦坊
(3)友人たちに囲まれる和服の邦坊。邦坊も召集令状がきて一度は入隊していました。しかし、わざと食事を抜いて体調不良にさせて除隊したといいます。(4)農事講習所時代の集合写真。子供たちの服装は国民服がほとんど。教員のなかにはスーツ姿の人もいます。戦況が悪化すると、農業学校も戦時色が強い道場教育となり、卒業生だけでなく若い教員たちまでも戦地に送り出すことになりました。
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(5)旭社でお参りする邦坊
邦坊は、あまり故人を振り返るような文章は残していません。邦坊の年齢から考えても戦争で亡くなった友人や知人、そして教え子も多かったはずです。一切を語らないということは、言葉にできない深い思いが続いていたからでしょう。邦坊の旧蔵品をみると、軍服姿や国民服をきた人物との写真が数多く残されています。残念ながらそれぞれの交友関係はまだまだ掴めていません。しかし、晩年まで文箱に保管していた写真だと思うと、大切な人たちとの思い出を想像することができます。
2020年8月15日 合掌